バラはバラはバラはバラー世界はまるい



バラはバラでありバラでありバラである

"A Rose is a Rose is a Rose is a Rose"
「バラはバラでありバラでありバラである」

ガートルード・スタイン(Gertrude Stein、1874-1946)は、アメリカ出身の作家、詩人、美術収集家として知られ、20世紀初頭のモダンアートと文学の発展に大きな影響を与えました。

彼女は特に、パリのサロン文化を通じて多くのアーティストや作家と交流し、ピカソやマティスなどの芸術家たちを支援したことでも知られています。

ヘミングウェイの文章の先生でもあったそうです。

スタインの「Sacred Emily」(1913)という詩の「A rose is a rose is a rose」というフレーズは、存在の本質を表す言葉として広く引用されており、ものごとをそのまま受け入れる哲学を象徴しています。

彼女はまた、心理学者ウィリアム・ジェームズの影響を受け、無意識の流れを描く文体で作品を創作し、文学における前衛的な手法を確立しました。

スタインは同性愛者であり、生涯のパートナーであるアリス・B・トクラスと共に生活し、その関係は彼女の作品にも影響を与えました。特に自伝的作品『アリス・B・トクラスの自伝』は大きな成功を収めました。彼女の影響は文学、芸術、フェミニズムに及び、実験的な文体と新しい表現方法を模索し続けた作家として評価されています。


ゲシュタルト療法との関連

ゲシュタルト療法では、「今ここ」に意識を集中し、評価や判断をせずに目の前の体験をそのまま受け入れることが大切です。

スタインのフレーズは、この療法の核となる「気づき(awareness)」の考え方と深く結びついています。

ゲシュタルト療法では、自分の体験や感情、思考を評価せずに観察することで、自己の内面に深く気づき、変化を促すことが可能となります。この点で、スタインのフレーズは「存在の肯定」を象徴しており、ゲシュタルト療法におけるアプローチと重なります。

フリッツ・パールズは、『ゲシュタルト療法バーベイティム』の冒頭でこのスタインのフレーズを引用しています。

本物の自分になるためには、自分の立場を確立し、自分の中心(核)を育てることを学び、実存主義の基本を理解することが必要です。それは、『バラはバラでありバラである』ということです。私は私であり、今この瞬間、私は他の何者にもなれません (to become real, to learn to take a stand, to develop one's center, to understand the basis of existentialism: a rose is a rose is a rose. I am what I am, and at this moment I cannot possibly be different from what I am.)


実存主義と「自分自身を受け入れる」こと

実存主義においては、自己の存在をそのまま受け入れることが重要なテーマです。

「私は私であり、今この瞬間の私を否定することはできない」という考え方は、実存主義の中心的なアイデアであり、スタインのフレーズと通じます。

物事や人間は存在すること自体が重要であり、そこに意味を与えるのは外部の評価ではなく、個人の意識です。

この「存在の受容」は、自己の本質を探求する実存主義の基本に根ざしています。

バラをありのままに観るエクササイズ

まず、目の前にあるバラ(または他の花や果物でもOKです)をじっくり観察し、色、形、香り、質感に集中します。評価や解釈を加えず、ただその存在を感じ取ることを目指します。

たまに目をつぶって、このバラを思い浮かべてみてください。

目を開けてみると、浮かんだイメージはこのバラとすっかり同じでしたか?

それともちょっと(あるいはずいぶん)違ったでしょうか?

バラをみているときの、自分の呼吸や体の感覚、感情、思考に意識を向け、評価せずに観察してみてください。

自分が今この瞬間に感じていることをそのまま受け入れ、ありのままの自分を感じてみましょう。

そしてまた目の前のバラを、五感を使ってゆっくり観察してみてください。

これは、ゲシュタルト療法で、パールズたちが述べた「集中(concentration)」というアプローチとも似ています。


世界はまるい

この記事の最初に表紙を挙げた『世界はまるい』は、スタインが第二次世界大戦がはじまる直前の1939年に、子どもたちに向けて書いた絵本です。

イラストは、おやすみなさいおつきさま』や『ぼくにげちゃうよ』といった絵本の挿絵を描いたクレメント・ハードによるものです。

『世界はまるい』は、ちいさな女の子ローズの物語です。

ローズはいつも考えています。

わたしはだあれ? もし名前がローズじゃなかったら、わたしはいまとおんなじローズだったかな、もしわたしが双子だったら、いまとおんなじローズだったかな? 
いろんなことを考えて悩んで、ローズは歌を歌います。

わたしはちっちゃな女の子
名前はローズ、ローズって名前
なぜ わたしは女の子なの?
なぜ わたしの名前はローズなの?
いつ わたしは女の子なの?
いつ わたしの名前はローズなの?
どこで わたしは女の子なの?
どこで わたしの名前はローズなの?
わたしはちっちゃな女の子、
バラって名前の女の子、バラって名前のどの女の子?
歌をうたうとローズは悲しくなって泣き出してしまいます。

いとこのウィリーは、歌を歌っても泣きません。そして、「名前がヘンリーだって、ぼくはウィリー」と言いきることができます。

ローズは自分を探す旅に出て、ひとりで山にのぼりました。

そして丸い木の幹に、ぐるりと「バラはバラはバラ」という文字を掘り込みました。

ローズは、「なぜ自分の名前はローズなのか?」「もし名前が違っていたら、自分は同じ存在なのか?」といった問いに悩みます。この疑問が物語の核心であり、彼女は自分の存在とアイデンティティを確認するために旅に出ました。

「ローズはローズはローズはローズ」

なんでしょうね。
おんなじふうに自分の名前をぐるぐると繰り返してみると、だんだん妙な感じになってきませんか?(ぜひやってみてください。次の「実験」です)。

「私は私だ」というアイデンティティは、「私は私は私は私」と繰り返していると、その輪郭が解けて、言ってみればゲシュタルト崩壊を起こし始めます。

「私は〜だ」と疑問もなく信じているのも、「私は〜なんだろうか?」と不審に感じているのも、どちらも「ありのままの私」に出会ってはいない状態だと言えそうです。

「私は私は私は私」とぐるぐるしているうちに、なんとなく、これまでと違った「わたし」の実感に触れることができるかもしれません。それは、同時にまるい世界に触れることでもあるんじゃないでしょうか。